冬休みの宿題はやっぱりヤダけれど、今年はちょっと違うぞ。
娘(9歳)冬休みに突入…。
当然宿題ありますよ。
はぁ…。
なんでアタシがここまで落ち込まなきゃならないんだか。
娘のですよ、娘の宿題!
アタシには関係ないっつーの!
関係ないのに、なぜココまでの気持ちになるのか。
それはおそらく完全に、
ト・ラ・ウ・マ・だ・か・ら・だ・よ♡(♡の意味がわかりませんが…)
もうね…、恐怖に限りなく近い不安感。
超特大の不安感、をがっつり感じるんですわ。
そして、ぞわぞわと襲いかかる焦燥感。
焦り、焦りしか感じないんです。
いやぁ、くだらない、実にくだらない話しです。
自分の宿題ではないのに。
もう何回目の夏休みと冬休みだっつーんだよ。
わかってる、わかってるんだよ、だけどさー、だけどさー、
オレは猛烈に怖いんだよぉぉぉおおお!!!!!
はぁ、はぁ、はぁ。。。。。
言わないようにしよう、黙って見守ろうと頑張ったけど、
日常の宿題とは別格なんです、アタシにとっての冬休みと夏休みって。
だからね…、初日だけ初日だけにしようと心に決めて、言いました。
「ところで宿題はどんな感じに進めんの?」
始めは穏やかに何気なく言えた。
だけど、そんなんで終わるわけないんだ…。
言い始めたら絶対に加速するんだから。だから言わないようにしてんのに…。
娘のモジモジした態度にどんどんヒートUPするのがわかる。
心臓はドクンドクン波打って、背筋あたりからイライラし始める。
どうするオレ。
漢字書き取りは範囲が決まってて、休み明けテストなんだって。
1日漢字ノート1ページがノルマ。休みは13日間だから13ページ。
娘は「毎日4ページやる」っていうから、「じゃぁ何日で終わるってこと?」
って聞いたら、あっという間に沈黙。
大人のアタシはパパッと暗算で「4P・4P・5Pで3日間で終わる」って即答できる。
または他のやり方も口に出せる。
だけど娘は15分経ってもノートと睨めっこ。
その姿にまた別のイライラが追加する。
だからさぁー、13日÷4P=って答えは何よっ!
口調が荒くなる。
こっちとしては「3余り1」っていう割り算の初歩だろうよ、
この間やってたばっかじゃんって思ってるから、
そんなに難しい質問をしている気がしてない。
だけど、今の娘はすでにもっと難しい割り算に進んでるから、
すぐに過去にはさかのぼれないようなのだ。
それをわかっていても、振り上げた拳が下げられない的な気分で、
トーンダウンを選ばない自分がいる。
何やってんだか…。
話しをどんどん複雑にしてるのは私。
宿題の話しから逸れて、計算の話しに移行してる。
しかも、大人の頭で計画しろって言ってるんだ。
子供のままじゃなくて、大人みたいにパパッと計画して返事しろって要求している。
娘は宿題にこの時点で、何の不安も感じてない。
そりゃそうだ、今まで私が毎回焦ってやらせてきたせいで、
彼女の貴重な焦る経験を防いできてしまったんだから。
彼女は宿題について「困る」っていう経験をしていない。
それをさせてこなかったのは、私である。
今回も私は自分の不安感に屈してしまい、
宿題の段取りをつけようとしている。
本来ならば、放っておくのが一番なのだと思う。
だけど私はそれを選ばない。選べない。
なぜならば、放っておかれた寂しさや憤り理不尽さが、
宿題に対する不安感の一番の要因だからだ。
「宿題やれやれ言われても、どうやったらいいんだよ」
と思っていたことを思い出す。
一人では理解しきれなかった宿題を、一緒に手伝って欲しかったのかもしれないな。
今となってはその記憶は曖昧だが、娘の宿題の場面に嫌な感覚として蘇る。
宿題やれって威圧感たっぷりに口でいうだけで、
私を放っておいた自分の親に対する怒りは、
予想以上に私を苦しめる。
低学年の間は、宿題のやり方を一緒に考え、
手伝いを要求されたらすぐに手伝おう、と考えていた。
けれど、なかなかその距離感は掴めない。
ヒトとの程よい距離感を保てないから、パーソナリティに問題があるわけだしね。
そんなこんなでもう高学年。
今年こそは、もっと離れなければ…と頑張ってはきたが、毎回同じことは繰り返す。
…で結局、私はこんなことを言ってみた。
「宿題が終わったら、無制限でゲームしていいよ」
あー、言っちゃった。
一応、どうしても毎日やんなきゃなんないやつはあるから、
それ以外ってことで。
毎日やるコトは、毎朝やるってことにして、それらが終わったら無制限でって。
そんなこと言ってみたよ、なんだかそんなコト。
「100点とったら欲しいもの買ってあげる」っていう、
脅迫みたいな勧誘と同じじゃんね。
なんだかなー。でも…、
アタシにとっては、それはそれで大冒険だ。
娘がゲームを手にしたのは1年生のクリスマス。
その日に「ゲームは1日30分を2回まで、必ず10分の休憩を挟むこと」と、
私の要求を約束をさせた。
私は、ゲームに魅力を感じない。面白さがどうにもわからない。
ファミコンのスーパーマリオにハマったが、全面クリアには至らないし、
同じことの繰り返しに飽きてしまい、あっという間につまらなくなった。
まぁそもそも、我が家でゲームをするなんざぁ愚の骨頂的な雰囲気で、
自室で安心してゲームにのめり込むことすら許されなかった。
いつも親の呼び声にビクビクしながらのゲームなんて、
集中できないから全くもってつまらない。
それ故にゲームにのめり込み、話しが耳に入らない現象に苛立つ。
それに私は視力が弱い。娘もあっという間に近視になっている。
「ゲーム=目に悪い」っていう思い込みは深いのだ。
ゲームをすればするほど目が悪くなる、そんな強迫観念を盾にする。
しかしサンタさんは、おかまい無しにゲームをプレゼントしてくれた。
サンタさんのするコトを、全面的に受け入れる姿勢はしばらく変えるつもりは無い。
クリスマスは思う存分、自分の欲しい物をお願いし、
自分にストライクなモノだけを手にして欲しいと思っている。
娘は当初、ゲームにめり込むことは無く、
上記の約束で充分満足できていたが、成長と共に徐々にソフトと面白さは増し、
30分×2回では満たされない様子も出てきていた。
そんな中、今年のクリスマスプレゼントは大人気のコレだ。
もう、やりたくてやりたくて、仕方ないらしい。
だから「無制限」って言ってみたの。
夫も娘も、私の発言を信じられないようで、
「ママ、どうしたの?どうしたんだろ、最近のママ。」
と連発していた。
どうもこうもない。
どうにかこうにか自分の何かを変えたくて苦肉の策を講じたまで。
それがどうなるか、どんな結果になるかは全くわからない。
だけど、兎に角今までにやったことが無いコトをやってみなければ、
結果は変わらないのだ。
なんでもいい、自分の中に思い浮かんだことを片っ端からやってみる。
吉と出るか凶とでるか、そんなことを考えても誰にもわからない。
自分でやったことは自分でケツを拭えばいい。
そして、それからまた考えればいいんだ。
思ってるだけでは足りない。
思ったコトは行動に移し、結果は結果として受け止めよう。
無制限を公言してから3日が経った。
娘は今、ゲームに明け暮れている。