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向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

行動の後に起きる後悔は、有っても仕方が無いこととして受け入れる。

 

先日、後悔するような記事を書いた。

なんか嫌なモノが残るから、過去記事の貼り付けはやめておこうと思う。

貼り付けはしないけれど、戒めと反省のためにも削除はしないでおく。

しばらくしたら恥ずかしいとか、もういいだろうとかいう某かの気持ちがやってきて、

極自然と消去したくなりそうだから、今はこのままにしてみる。

 

「後悔しないように…」とか、「後悔しない生き方」っていうけれど、

それってどうなんだろう。

後悔してみなきゃ気付けないこともあるから、

私は「後悔」を感じないモノにしたくはない。

もちろん後悔って、もの凄い痛手だから、

ホントはそんな風な痛みを負ってまで気付かなくてもいいんだけど、

私には要る気がする。

 

後悔より「反省」にしたい。

いや、後悔してから反省がいい。

後で悔やむだけなら簡単だ。

だけど、悔やんでから自分の行いを省みてまた次に進むほうが、

進みたくなる気がする。

 

思うことは自由だが、行動には責任が伴う。

行動だって、自由ではあるけれど、

他人を傷つければ、それ相当の責任を果たす事になる。

その責任を果たさないっていう選択もあるだろうけど、

法に触れれば逃れられない。

法に触れなくとも、批判されたり非難されたり、

人が離れていったりという結果は付いてくる。

 

思うことは止められない。

思うを止めることは自由を奪いコト。

けれど思うは溜められない。

溜めずに健全に流さなければ、生きることは辛くなる。

 

今私は、自分の思いの流し方を学んでいる最中だ。

カウンセリングを使って声で言葉を発し思いを伝えることと、

ブログを使って文章で言葉を発信し思いを伝えること。

やればやる程言えなくなり、書けなくなり。

言えたと思えば言わなきゃよかったと思い、

書けたと思えば書かなきゃよかったと思う。

 

苦しいやら恥ずかしいやら、止めたくなる。

 

言葉を知らないし、意味も知らない。

自分の気持ちを表現する熟語のストックが、

私の脳みそには少な過ぎることに気付いた。

学ぶことの必要性をひしひしと感じる。

良い学校に入る為だとか良い仕事に就く為だとか、

金を稼ぐ為だとか…

そんなことよりまず、

形に見えない自分の気持ちを相手に伝わるように表現する術を、

学ばなければならなかったんだと思った。

 

後悔することはダメなことだから、

自分のやったことはダメなんだ…と思っていた。

だから、行動は起こしたくなくなった。

けれど、有っても仕方が無いことだと受け入れれば、

行動する勇気が湧く。

 

だから続ける。