お菓子のレシピに対する「敬意」が足りてなかった。
先日作った「あずきのスコーン」。
なかしましほさんのレシピ本を元に作りましたが、
「あずきのスコーン」ではなく「あんこのスコーン」でした。
間違えてごめんなさい。
訂正してお詫び申し上げます。
言い訳になってしまいますが、
実は私の育った環境では
「あんこ→こしあん」「あずき→粒あん」の解釈でして、
自分では粒あんを使っていたので、
レシピをずっと見ていたにも関わらず、勘違いのまま思い込んでいました。
ブログに載せるなら、再確認しないといけなかったですね…。
反省です。
「レシピを、始めからアレンジしてしまう」という点について、
去年からずっと引っかかっていたので、少し考えてました。
もしかして「レシピを信用してない」ってことかな、
と始めは思ったんですよね。
私は「信じる」ってことがイマイチわからず、
「信じるって何?」みたいなところで悶々としてきたので、
しっかり研究されてきたレシピですら信じることができないから、
始めからアレンジするんじゃないか?って思った訳です。
それと「レシピ通りに作っても失敗する」かもしれないコトへの恐怖感、
とも思いました。
始めからアレンジしてしまえば、失敗しても言い訳にできるっていう安心感の確保。
ただどちらも、自覚が無い意識なので、
なんとも結論の出ない考察になっていますが…。
なかしまさんのレシピはボール一つで作れて、材料も案外常備し易いものばかりです。
それだけにお菓子作りへのハードルが下がり、思い立ったらすぐにできます。
行程が簡略化されており、後片付けも驚く程ラク。
でもその手軽さは、試行錯誤の上に出した研究結果のようでした。
なかしまさんのコメントを読み、自分がこれだけお菓子作りを身近に感じられるのは、
このレシピのお陰なんだと。
レシピをアレンジするって、失礼な行為だったな…。
毎日の食事って、ある程度のアレンジ力がないと続かないように思います。
レシピ通りの材料が揃わないと作れないとか、
レシピ通りの行程にしないと完成しないなんてことは、
日常では通用しない。
どうもそういう癖がついているのかもしれません。
このアレンジ力、お菓子には使わない方がよさそう。
材料の分量に誤差があったり、加える順番が前後したりすると、
仕上がりに凄く差がつくように思いますし。
私は、毎日の料理が苦手です。
栄養バランス・家族の好みを、限られた時間でこなすことは、
脳みそフル回転でやりくりしないとできません。
買い物するところから軽くパニクってしまうので、
いつも同じ食材ばかりカゴに入れています。
それだけに、一つの完成形に集中できるお菓子作りは、
同じ料理なのに別物なんですよね…。
しかも今のところ、自分が食べたいものを自分の為だけに作ってますから。
料理って、無意識にやれば生活の一部ですが、よくよく考えると科学の世界。
「こんなのが食べたい」っていう想像を実際の形に起こすレシピ作りは、
科学者の論文にも匹敵するんじゃないか?って思ったりして…(大げさですかね…)。
名前を間違えるのも、アレンジするのも、
改めて敬意が足りなかったと反省です。
敬意って、それに至までの背景を想像する力が必要なんだな…と感じました。
背景を想像できなければ、苦労も想像しない。
だから敬えない。
なるほど。
想像力と妄想力はかなりあるのに、使う方向間違ってた…。
わかった気になってた言葉の意味を、また知ることになりました。