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向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

ママは大きくなったら何になりたいの?

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登園中の車内で息子(5歳)は急に、

 

「ママは大きくなったら何になりたいの?」

 

と聞いてきた。

 

私は「・・・・・。」言葉に詰まる。

え〜と、私は43歳でしてもうすでに充分大きくなりまして、むしろ大きくなり過ぎたっていうか、身体も心もむしろ老いてきてるわけで、人生も後半戦に突入してまして、何になりたいか?って問われましても、特に考えたコトはなくて、何になれるか…くらいの不安はありますが、すでにそれすら諦めてるって話しで…、え〜と…。

 

私 「そうだなぁ、◯◯(息子)と◯◯(娘)がなりたいコトを応援する人になりたい。」

 

搾り出して、こんな返答…。なんのヒネリもなく、面白味もゼロの精一杯。真面目さが前面に出てしまった感じで。だけど、本当にそう思っているからどうしようもない。っていうか、その質問、普通にしてくることにまず驚いて、あたふたしたわけです。

だけどそうだよね、息子にしたら年齢とか関係ないよね…。「大きくなったら」っていう抽象的な目印が何か自体わかんないもの。ママはすでに「大きくなったらの先」で生きてることなんてわかるわけないさ。

そんなことを3秒くらいの間で考えてたら…

 

「オレと同じ警察の人だといいなぁ…。」

 

と願うような声が聞こえて、私がモゴモゴ言い始めたら、

 

「だ・か・らぁ〜、警察の人でもいいし、消防車の人でもいいし、バスの運転手さんでもいいし、救急車を運転する人でもいいし、何でもいいんだよ!」

 

とアドバイスを受けた。

 

それにしても…そうだよなぁ、と考えさせられる。人生80年と単純に見積もって、あと40年位ある。それだけ長い月日があるんだから、「何になりたいか」を諦めるとか考えもしないってどうなんだろ。私は◯◯になりたーい!って今から思ってもいいわけだ…。

 

いや、そもそもココ数年間「生きる」ことについて悩み、「過去を恨み・現在に苦しみ・未来は不安」だけで生きていた。だから、生きたいと思うことはなかったし、生きなければとも思わなかった。例えどんなに大切な家族が目の前に居ても、生に対する執着も愛着も無く、むしろそれが苦しくて。だから、将来の展望など考える余裕も隙間もなく、ただ一日一日を何事もなく終えることを願い、一秒でも早く死に近づきたくて息をした。

 

だけど…、

 

いつからか死にたくないと思い始め、生きると決めかねつつ生きてみて、そろそろ生きてやろうじゃないの…と思うようになっている今日この頃。もう絶対にそんな日はこないって絶望してたはずなんだけど、気づけば変わっているじゃない。あらら…。

 

「私は◯◯になりたい」と思ってもいいかも…と思ってるってことは、将来に向かってみたいという願望が出てきたのかもしれず…。ということは、「生きたい」と思い始めたのだろうか。消えてしまいたいと口では言いつつも心の底ではずっと、「生きたい」と思えればどんなに楽か…と何度も願ってきた思い。それがもしかしたら現実になるかもしれないという希望が見える。

 

自分が何になりたいのか真面目に考えてみようと思ったのは、息子に質問されたからだけど、息子が質問してこなければおそらく気づけなかった話しで…

 

大きくなったら何になりたいのか、しばらく考えてみたいと思った。