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向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

「何もしてない」は、本当に何もしてないのか?

 

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夕方になると「あぁ、今日は何もしてない…。」と思う事がある。さっき、昼前にも思った。

 

「あーあ、午前中何もしてない。」

 

自動的に思うのだが、それを思うと落ち込みそうになる。時間を有効に使わなかった。無駄に時間を過ごしてしまった。やるべき事があったはずなのに、またやらなかった。なんて私はぐうたらなんだろう…と。あ、すでに落ちこんでるのか…。

 

何もしてないの「何も…」は何を指して言ってるんだろう。「何も」は本当に何もしていないというのだろうか。

 

今朝起きてから、何をしたか思い出してみる。

  1. 身支度をした(洗顔・口を濯ぐ・着替える)
  2. 洗濯機を回した
  3. 家族の朝食を作った
  4. コーヒーを入れた
  5. 家族を起こした
  6. 布団を畳んだ・干した
  7. 朝食を食べた
  8. 家族を送り出した
  9. ゴミをまとめた
  10. 洗濯物を干した
  11. 掃除機をかけた
  12. トイレ掃除をした

ざっとあげてみると、10項目以上のことはやっている。だけど、私の意識の中には「やった感」がない。唯一特別感があるのはトイレ掃除だが、これも気を抜けばやった感が無く「当たり前」になっている。

 

「当たり前」のことは「何もしてない」なんだろうか。「してない」ことはないはずなんだけど。「12個は、してる」んだけどなぁ。

 

私の中で「あれやらなきゃ」が「何も」の中に入っている気がした。今「やらなきゃ」に入っているのは障子の張り替え。ずーっと前からビリビリに破けていて、夫が張り替えようと言っていたのを遮ってまでそのままにしていた。

 

いいよいいよ、どうせまたアイツ(息子5歳)が破るから…。いいのいいの、破りたい年頃なんだし、張り替えたら私は怒りたくなってしまう。「折角張り替えたのにもう破ったのかー!」なんて言って、怒る材料が増えてしまう。だからいいのいいの。

 

子供達を怒る材料だけは増やしたくない。そのことだけは私の中で確実にわかっていることだ。だけど…もう流石に気になってきたよね…。

 

子供との生活で障子が破けてるなんて当たり前だよ、…って自分を納得させるまでも時間がかかった。なんせ私は、障子を破ることを許された事がないもの。あー、傷がウズウズする。

 

だけど気持ちイイよね、ピシーっと張られた和紙の障子って。綺麗な障子が張ってある部屋がいい。

 

ウチの障子は大2枚小2枚。昔の障子と違って、アルミ製の骨組みは取り外し式で、結構な手間がかかる。ドライバーを持ってきてネジを緩め、骨組みを引き抜いてから張り替える。

 

縦198cm横81cmの大物を外して、横倒しにして引っ張り出すって大仕事。リビングの物が減ったから、作業スペースは確保できるんだけど。あー、面倒臭い。

 

喉に引っかかった小骨のように、頭の中に引っかかり、やってしまえばいいものを後回しにしてきていた。

 

コレだ。

 

これが「何にもしてない」の「何にも」の正体だ。いや、他にもありそう。扇風機の掃除、換気口のゴミ取り、あとは…。

 

「いつかやらなきゃ」が風化して「あれやらなきゃ」に変化。焦りが出てきたから「何もしてない」の一言に括って落ち込むことで終わりにする。

 

気を抜くとすぐこうやって「ない探し」を始める。「〜してない」を探して、やってない自分に落ち込む癖が、自分を作ってきた。好きでこんな癖を付けたわけじゃないけど、こうやって自分を責めたり落ち込んだりして生きるのが、私の普通になっていた。

 

苦しいようにみえて、実は楽な方法なんだと思う。自分の出来なさを嘆くだけで、行動を変える労力はいらないんだから。

 

だけど、いいじゃないか。障子を張り替える道具は買ってきたし、あとは自分で「やろう」と思えた時で。そうやってやってこれたじゃない、今までも。無理しなくて大丈夫。

 

何もやってないは「何かはやった」に変えて、一つずつ数えていけば落ち着いてくる。とりあえず、今日はトイレ掃除をやったんだ。それだけはやったと実感しよう。それ以外は当たり前だとしても。