向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

ママも宿題やってみる

 

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 ホントは、宿題なんか放っておけばいい。娘(10歳)のことなんだから、私が口出しすることじゃない。例えばこれが他人だったら言わないんだし、自分が親だからってなんか言わなきゃならない気がして、なんかやらせなきゃならない気がして、焦ってるってことなんだし。

 

だけどさぁ、やっぱりそれ、ハードル高い。「言わない言わない、見守る見守る」って呪文唱えても、咄嗟に言っちゃってるもん。カァーって頭に血が上ってくのと同時に口から色々出てくるよ。それをなんとかしたいんだけど…。

 

私が言おうが言うまいが、娘のタイミングでやる時はある。やりたくなければやらないで学校行ったって、行動の責任は、娘自身がなんとかすることだ。そうだ、それでいいのに、やらせなきゃならないと私の身体に染み付いてる。頭では「言わなくていい」がわかってきたのに、おでこから下では「やらせなきゃ」って感じてる。

 

娘の棚を見て「娘の一日」を思った。

 

週3回6時間授業やって、地域のクラブやって、習い事行って、宿題やって、ご飯食べてお風呂入って…、宿題なんてやる時間ないじゃん、いつやるんだろ…。朝6時過ぎに起きてエレクトーンの練習して、この一日のスケジュールをこなすって、今の私にできんのか?私も小学生やってきたけど、この状態の時に宿題やれって言われてやる気になったのか?

 

やる気になんてならない、ならないよ、なるはずない。やれって言われれば言われるほどやる気なんか無くなっていく。そういうもんだった。

 

「やる気になってもらわなきゃ、困るんだよね?」っていうヒントを、カウンセリングでもらった。

 

あぁ、そうか、そういうことか。私は娘に「自分でやって欲しい」だけだ。言いたいわけじゃなくて、やらせたいわけじゃなくて、自分でやってもらいたいんだ。なんであんたの仕事を、ママがいちいち気にして声かけなきゃなんないんだよ…ってことが一番イラつくんだ。ママはママの仕事を自分で気づいてやってんのに、誰も声かけてなんてくんないのに、なんであなたはママに言ってもらって気にしてもらえんのよ…って訴えたいだけだ。

 

あれよ、自分の過去がね、小さい私が嫉妬してんの。私はただ怒鳴られてるだけだった、助けてなんて貰えなかった、手伝ってなんか貰えなかったって。

 

っていうけど、声かけるって決きめて動いてんのは、私の勝手で私の意思。娘から頼まれたわけじゃないし、誰かに指示されてるわけでもない。私が勝手にやってるだけのこと。矛盾してるわぁ。

 

スケジュールがいっぱいでクタクタでも、やることはある。やりたくないわけじゃなくて、やりたいけどやる気になれない。そういう時はどうするか?やることをやっていくには、どうしたもんか…?と考え方を変えてみた。

 

なんとな〜く、宿題の算数プリントをやってみようと思った。ただなんとなく。もしかして5年生の算数なんて、もしや解けないんじゃないか?って思い始めて。やってみたらどうなるか、自分が何を思ってどんな結果が待ってるか、やってみたくなった。

 

私 「宿題のプリントコピーさせて。ママもやってみたいから…。」

娘 「・・・・・?」

 

娘はキョトンとしていた。

 

私 「一緒にやろうよ、タイマーで計って。」

娘 「じゃぁ、競争ね。◯付けは交換して付け合いっこしよ!」

 

小数点の掛算なんて、もうすっかり忘れたよ…って思いながら計算した。そうだ、あの頃「小数点の計算なんて、生きることに必要あんのかよ…」って憶える気失せたんだっけ。「非効率で無意味だ」みたいな感覚、この歳でもう持ってたなぁ…って思い出した。ホントに5年生の頃思ったかは定かじゃないけど、18までの間にそう思ったことは間違いないわ…。

 

16問の計算を2人とも5分程度で解き、娘は満点、私は−1減点だった。小数点の付け方なんて、単なるマグレだったけどね(汗)。

 

娘 「ねぇママぁ、また今度一緒にやろうよ!」

私 「・・・・・うん。」

 

思いもかけない娘の言葉に、ちょっとびっくりした。「またやろうよ」って言葉が、宿題に対して出てくるなんて、今まであったかな…多分ない。ないんだよ、そう…ない。ないよ。

 

ちょっと虚しくなった。今までっていったいなんだったんだろう…って。あれだけのエネルギーつぎ込んで、腹の奥底から声出して「早くやりなさい」と訴えて。あの手この手で脅し文句使って、言った後には罪悪感だかなんだかで落ち込んで。なんだったんだろう。こんなにあっさり「またやろうよ」なんて言葉が出てくるとは…。だからこう言ってみた。

 

私 「算数プリントの宿題が出たら教えて、一緒にやりたいから。」

娘 「わかったよ。楽しかったぁ。」

 

楽しいって言葉が宿題に出てくるって…あぁ、これは宿題じゃないのかも、ゲームだったのかも。そうか、ゲームになればいいのか…。娘の笑顔を見た時、またなんとなくそう思った。

 

宿題をしないことが無償に怖い。怖いから簡単には手放せない。手放す気がないんだと思う、そもそも。 だけど怖がってるのは私だけ。忘れていくことへの怖さと、勉強ができないという怖さを、娘を通して自分が感じたくないから、やらない娘を見てられない。

 

どうやら私の頭は、5年生の娘と対等だ。それはそれでガックリきたけどさぁ…。でも今なら競争というゲームが成立する。「やりなさい」を言わなくても、「やろうよ」と一緒にやってしまえば終わるんだ…。一緒にやるってすげー。

 

今更だけど今頃だけど、「一緒にやる」ってこういうことか…って思った。