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向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

生きてて良かった…と思うには

 

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「生きてて良かった」なんて思う時が、いつかくるんだろうか…?と思ってたけど、疑問符にしておきながら本当のところは、「生きてて良かったなんて思うはずがない」っていう諦めだったり、「生きてて良かったなんて思ってやるもんか」っていう反発心だったり、「生きてて良かったって思いたいな」とか「思えるようになりたいな」とかの希望だったりして…、なんていうか、「生きてて良かった」なんてことをすんなり受け入れてしまったら、また物分かりのいい人に成り済まして生きてしまうような気もするし、負けを認める的な屈辱感だったり、今までのことを全て無いものにされてしまうような恐怖感があって、口が裂けても言うものか、言ってやるもんかと踏ん張ってた感覚が、私の中にはもわぁーっとある。「生きてて良かった」って言葉には、「感謝」みたいな意味合いを感じて、若干の胸クソ悪さがあるし、綺麗事みたいな雰囲気もあって、自分の口から出すのは嫌なものだ。

 

別に、何かを受け入れようとか認めようとか、そういう温厚で慈悲深い思いが突然沸き上がってきたわけじゃないし、何か特別な出来事があったわけでもないけれど、今日走ってたら、不意に思った。

 

生きてて良かった…って。

 

そしたらなぜか、もっと無理矢理思ってみたらどうかしら?と思っちゃって「生きてて良かった、生きてて良かった、生きてて良かった」と何度も頭の中で言ってたら、案外なんとなくその気になってきて、「生きてて良かったっていうのは、こんな感じなのか…。」と納得したっつーか、なんかふわぁーっとしたものを感じた。それで、待っててもこないんだなぁって思った。いつか、感動的にワァーって湧いてくるかと、ずっと待ってたような気がするけど、病的な状態から解放されて、精神の安定が得られたら、いつか自然に「生きてて良かった」って思えるもんだとどこか期待していたようにも思うけど…。でも、違うんだ。違うみたいだと思った。

 

いや、本当は…っていうか、健全な状態っていうのかな、そういう状態で生きてきた人は、日々の中で自然に思うことなのかもしれないし、それこそ、沸き上がってくるっていうか、気づいたらそう思ってたっていうか…。わざわざ唱えて思い込むことではなく、感情の一つとして他の感情と同じレベルで感じたりするような気もするんだけど。どうなんだろ。

 

例えば富士山に登って、頂上に着いたら「生きてて良かったー!ヤッホー!」みたいな心の抑揚が、なんだかわかんないけど溢れ出てくる状況なんかがあると思うんだけど、そんな一大イベントでもない限り、生きてて良かったと感じることが出来ないなんて、極端な話しだなっていうか。でも私は、多分そんな風に思っていたように思う。一生に一度の一大イベントに「生きてて良かった」って実感するものなんじゃないか?って思ってた気がする。

 

思い返してみると、「生きてて良かった」と思うことは、生活の中に結構あるのかもしれない。あるかもしれないんだけど、私の場合、一瞬でうっすらなんだな…と。一瞬だけ思って即消える…みたいな。娘と息子が仲良く遊んでる場面を見たら、生きてて良かったと多分思ってるし、美味しい物を食べたら生きて良かったと思ってるはず。色んな場面の色んな瞬間に、「生きてて良かった」と頭の中に出てきてるはずなんだけど、如何せん「一瞬」で「うっすら」で、私にとってそう感じたりそう思うこは「どうでもいいこと」だったんだ。

 

だから、忘れる。すぐに忘れる。自分が「生きてて良かった」って思ったことがあるってことを、一瞬にして忘れるから「思ってない」と勘違いしてる…んだろうな、と思う。

 

いや、忘れたっていいんだけど。そんな年がら年中「生きてて良かった」なんて思って生きることはないんだろうけれど。一般的にはそんなもんなのかもしれないけれど。ただ…、ちょっとした日常に「生きてて良かった」といちいち思えることで、何かラクになりそうな気はするのだ。自分の中に感じた思いをすんなり言葉にして実感することで、日々の呼吸がし易くなるような、肩の力が少し抜けていくような。

 

「生きてて良かった」なんて、わざわざ思うことないかもしれない。思わなきゃ生きていけないわけじゃないし、思わなきゃならないわけでもない。っていうより、思いたいなら思えばいいし、思いたくないなら思わなきゃいいのだろう。だけど、自分の本心に反した思いが、無意識の中で頑張ってたりして、それが結構「苦しさ」に化けてることってあるんじゃないかなぁ…って。

 

私は、冬の青空が好きでして…。(っていうことを最近よくよく自覚してきたんだけれど)午前11時くらいの陽射しに、ちょっと冷たい風が風速3m程度に吹いてるような陽気がなんとも言えなくて。雲一つない青空もいいし、雲が多少流れてる感じもいい。住宅街から離れた、河原の脇にある遊歩道まで出ると、空の視界がぱーっと広がって、青空に包まれるような気分になる。何度来ても毎回思う。「あぁ、美しい」って。誰にも作り出せない自然の姿に触れると、心が震えるというか、これを感動するというのか、わからないけれど「幸せだな…」と思う。二度と同じ色や空気には出会えないでしょ…自然て。だから「今」っていう瞬間の美しさを見ると「また見たい」「もう一度見たい」と思う。私だけの、誰の為でもない、自分だけの喜びの瞬間というか、誰にも邪魔されない、私だけの楽しみというか。そういう場面に何度か触れていると「生きてて良かった」なんて言葉が頭の中に浮かび上がってくる。

 

こういう場面だって、待ってても向こうからはやってこない。いつまで待ってたって、美しさや幸せっていう「感じ」はやってこない。嘆くことも悲しむことも大事だ。悔やむことも恨むことも憎むことも、全部やってみて通ってみなきゃ。我慢なんかしなくていいと思う。だけど、ずっとそのままじゃ「生きてて良かった」は来ない。自分から行かないと近づけない。だから動くのだ。