向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

蕁麻疹に泣く娘を前にして

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蕁麻疹にははっきりした原因がないらしい。何を食べたからでも、何かを触ったからでもなく、奴らはじわじわと体の表面に現れてくる。痒いなぁ、虫に刺されたかもぉ、蚊かなぁ?ダニかなぁ…とポリポリしているうちに、ボコボコとみるみるうちに皮膚が盛り上がってくる。初めはだいたい体の中心部から。コイン状の赤い斑点が現れ、徐々に先端へ移動していき、最終的にはつま先指先まで痒くなる。以前は、始まってから2・3日で終息に向かっていたけれど最近では一週間も続くようになった。寝入り端と夜中が一番痒いらしい。「しぬほどかゆい」と訴えるのは数分でも、その様を見守るのはなかなかしんどいものがある。

 

娘(11歳)は2歳頃から、蕁麻疹が出るようになった。年に1・2回のペースで。1歳の時、気管支喘息と診断を受け、今年の2月まで投薬治療が続いた。特にアレルギーはない。けれど、蕁麻疹は出る。体調を崩していたり、疲れてると出てくる…ように思っている。睡眠不足も関係ありそう。免疫力が下がった時、出るんじゃないかな。

 

昨夜は、痒みで目が覚めていた。私がちょうど布団に入る時だった。寝ながらぽりぽり始まったので「痒いの?」と聞いたら「うん」と頷いた。一回掻き始めるとどんどんあちこち痒くなる。我慢してほしいが、痒みは我慢できないもの。娘も掻くと余計痒くなるってわかってて必死に我慢する。蕁麻疹の痒みは独特だと思う。私は焼け爛れるようなヒリヒリする痒さになるので。「掻いても大丈夫だよ」と言ってはみたものの、掻けば余計痒くなるし。「大丈夫だよ」と声をかけながらも、何が大丈夫だっていうんだろ、って言葉に詰まる。

 

「どうして私なの?どうして蕁麻疹が出るのは私なの?他にもたくさん人はいるじゃない。もう嫌だ。」と娘は泣いた。

 

背中をさする。痒みが増しそうで、さするのも躊躇するけれど。背中をさする以外の選択肢はない。掻くのを我慢してるんだから、せめて感情の吐き出しは我慢しないでして欲しいから。「どうして蕁麻疹が出るのは○○(娘)なんだろうね…他にもたくさん人はいるのにね。もう嫌だね。」と私は復唱する。復唱も必須。共感するには復唱なのだ。

 

私も同じ言葉を何度か言ってきた。今も言う。悔しくて悔しくて、泣けてきて腹が立って太ももバンバンで叩きながら。なんで私なの?なんで私じゃなきゃいけないの?って同じように泣く。辛いことがあると、なぜ私なのかと思ってしまう。別に、私が指名されて辛いことを体験させられてるわけじゃないのに。

 

生きてれば、色んなことが起こる。満遍なくどなた様にもいろんなことが起こる。そういう当たり前のことを、当たり前のこととして受け入れていない。嫌なことが起きない毎日がどこかにある…って思ってる。嫌なことが起きるのは何のせいだ?って犯人探ししてる部分もある。

 

11歳の娘と44歳の私が同じ言葉を使うのは、私が言ってた言葉を娘が知らず知らず真似たってだけじゃなく、私自身の考えが11歳程度ってことなのだ。11歳ならまだ良い方かも。自覚としては5歳だから。44年生きてきた肉体はあるが、中身は5歳という未成熟。未成熟は視野が狭く選択肢が少ない。つまり私の方が幼く、子供だってことなんだけれど。

 

不安は、痒みを増幅させるように思う。不安になるとますます痒くなる気がする。背中をさすりながら、不安そうに見える娘にやっぱり「大丈夫。」って声をかけてみる。大丈夫って言葉に、症状を軽減させる効能がある…かどうかはわからないけれど、不安を小さくしてくれそうな気がして言ってみる。

 

永遠に痒いってことはない。蕁麻疹には終わりが来る。そう思うことで、今の痒みをちょっとだけ耐えれば良いんだ、そんなふうに思ってもらえないかな…って思いながら、念じながら言う。あぁ、代わってやりたい、この痒みを代わってあげたい。

 

でも、そんな気持ちとは真逆に、「何で蕁麻疹が出るかなんて、わかんないんだから仕方ないでしょ!我慢しなさい!」って言葉を我慢してる自分もいる。「あんたは痒い痒いって泣いてりゃ良いけど、私は親で大人であんたのこと何とかしなきゃならない立場にいるの!私の方が泣きたいわ」って言いそうになる。子供が泣いたり痛がったり、痒がったりして辛い状態にあると「お前が何とかしろ」と言われているようで、すぐに事態を変えようとする。その結果、叱責したり脅迫したりして、自分が変わるんじゃなくて周りを変えようと必死になる。それは手っ取り早い暴言に繋がって、事態を悪化させていく。

 

自分の中で、過去の経験を思い出し、不安を小さくしていく作業が要る。「永遠に痒いことはない。蕁麻疹には終わりが来る」そう思うのは、娘に対してというより自分に対して言い聞かせることだ。「このままだと大変なことになる」っていう漠然とした恐怖感と不安感を、「本当にそうなのか?」と細かく問うことで、不安は小さいままとどめておくことができ、目の前の出来事に意識を向けることができる。

 

30分ほど痒がったが、いつのまにか眠りについた。「早く朝になってほしい」と泣いた娘の気持ちは私も同じだった。