自分の気持ちを大切にしながら、他人の気持ちも取り入れる難しさから見えたこと。
なかなかの難題続き。
やっとの思いで静かに収めたはずの地雷は、
やはり地雷でしか無く、
放っておいても向き合うべき時に向き合うしかない。
夫の両親には蓄えがないんだとか…。
大体はわかっていたけれど。
夫の姉は、嫁ぎ先の義両親の介護で、
現実的なお金事情を目にし、急に不安になったようだ。
上姉と兄と夫に声をかけ、夫の両親の為に、
各家族毎月数万円の積み立てを提案をしてきたそうな…。
夫は当然やる気満々。
おそらく一般的な反応なのだろう…余裕があれば。
ただ…、
ただ私は、そういった気持ちを持ち合わせていない。
残念だけど。
義親に限らず実親に対しても。
むしろ実に対して。
それにはそれなりの経緯があって、
どうしても譲れない譲りたくない強い気持ちがある。
それはけして喜ばしくはなく、
悔しくも悲しくもあって、
私だって親をただただ慕う気持ちに包まれたかった。
二つ返事でその提案に賛同出来たら、
どんなにか楽であろうか…。
夫婦で対局にある感情と向き合いながら、
一つの行動を決めて行くことは、
とても難しい。
とても難しいが、
一つ屋根の下で暮らすことを自分で選んでいる以上、
避け続けることはできない。
なかなかしんどい作業だ。
しんどい作業だが、いづれは向き合う親の問題。
人は何れ老いる。
老いた先は誰にもわからない。
避けられることがあればなるべく避けたいのは本音だが、
避けられないことはやるしかない。
避けたいことも「まぁ、しょうがいない、しょうがない。」
という半ば諦めた、半ば納得した気持ちで向き合いたい。
我慢ではなく、「わかったよ、わかったよ、しょうがないなぁ〜(笑)。」
と言いながらやりたいのだ。
ココ数日間に行った様々な人達とのやりとりで、
考えや思いが変わってきた。
一つしか無いように見えた選択肢が、
むしろ嫁であるが故にできるかもしれないやり方が見つかった。
幸いにして夫の両親は、元気に働いている。
子である夫達に見える未来の不安は彼らに任せ、
私は夫の両親の「今」を担いたい。
義母とは時に怒鳴り合いの喧嘩をした。
それだけに、私の苦悩する生活を実際に見る機会も多かった。
実母とは明らかに違う母性を、義母は持っていて、
彼女なりの理解はしてくれていたのかもしれない、
と思い直す機会となった。
義兄は「一番困っている時に助けてくれたのは身内でしょ?」
と当たり前のように言っていたが、
私にはそんな経験はない。
そんな体感を一度でもしていれば、
こんなややこしい気持ちを持つことも無かっただろうよ…
と言いたかったが、
少数派の意見を盾にしても、返り討ちに合いそうで言えなかった。
夫の兄姉達のように、
いずれ要るであろうお金を親の代わりに蓄える方法もあるのだろう。
けれど私は、私にできる支え方で、
義両親の何かになりたいと今は思っている。
これから先、何度もこれらの話しは出るだろう。
そしてその度に悩み、辛くもなるのだろう。
けれど私はその都度向き合い、その都度考え、
自分の答えを出していくのだと思う。