向き合う日々

動いて考えて捨てて減らして、感じて変わっていくかもしれないブログ

笑顔でありがとうと言える娘に見習い、可愛げがある人になりたい。

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娘(10歳)は褒められたりすると必ず「ありがとう♡(にこっ)」と言う。

 

褒められた時…ばかりではなく、ありがとうが合う場面では、どんな時でも誰に対してでも笑顔付きで言っているかもしれない。それも昨日今日の話しじゃなくて、赤ちゃん語の時から。 我が子ながらそれはそれは感心する対応で、なんでできるんだろ…と密かに悩んできた。

 

もしかして凄く気を使ってるんじゃないか?怒ってばかりの私にビビって、媚びてるだけなんじゃないか?私がそうさせてしまってるんじゃないか?言っときゃいいやって刹那的な気持ちで使ってんじゃねーの?と悲観的な妄想ばかりが思い浮かび、ちょっとした疑心暗鬼。

 

どうやら娘は、それをどこでもやっているらしい。 「可愛げがある」と言うような気がするけど、どうなんだろ…。娘をよく知る方々がそんな言葉を使っていらしたので、そうなのかなと思って。

 

ある人は、「人は可愛げがあれば生きていける」っていうようなことを言っていた。始めは「なにじゃ、それ。」と理解に苦しんだが、彼女を見ているとなんとなく頷けてきた。

 

褒めるや認めるだけでなく、他愛も無いやり取りに対してもそんな返答をするので、こちらは極めて心地が良い。ありがとうと笑顔で返すことは、こんなにもこちら側を気持ち良くするものかと驚くと共に、結構戸惑う。

 

戸惑う理由としてはただ一つ。私、そんな反応したことないからねぇ〜(スミマセン)。それに、嫉妬してしまうしね、そんな反応ズルいわ〜って。何がズルいんだかわからないけど。多分、憧れてはいたんだろうな、そういうカワイイ反応。っていうか、ぶりっ子に見える感じの対応に。ぶりっこに嫌悪しつつ惹かれる…みたいな。いやいや娘はぶりっ子って感じではないんだけれどね、多分。

 

ぶりっこ…っていう捉え方がすでに歪んでるな。素直な反応と言い直そう。そう、素直さだ。そんなキラキラした素直な姿、まぶし過ぎて耐えられない、溶けてしまうからやめてーみたいな。なんかそういう息苦しさというような。

 

私は特に、このことについて何かを教えた記憶がない。意識して接してきたつもりも無く、こんな可愛げの無い母親が側にいるのになぜなんだろう…、というのが正直なところ。夫にしても然りで、こんな返し方をする大人をどこで見たのか…と首をかしげるばかりだ。

 

娘曰く、「それ以外のやり方がわからないから」だそうで…。

 

ますます謎である。

 

私は褒められると即、悲観的な言葉が頭に浮かぶ。それはもはや謙遜ではなく…

  • 褒められ慣れていない…なんで私が褒められるの?
  • 褒めを受け入れない…褒められるようなことはしていない。
  • 褒める人を信用しない…社交辞令でしょ。

などなどの被害妄想に近い。始めから「褒める」を受け取らない姿勢になっているように思う。自分の行いを認めないというか、認めるに値しないというか、褒めるなんて以ての外というような感覚が、褒め言葉を拒絶したくなる居心地の悪さを生んでいるような気がする。

 

其の癖、人一倍認められたくて見て欲しくて。他人からの承認は喉から手が出る程なのに。厄介なことだ。

 

最近、そのからくりはだいぶわかってきた。だから褒め言葉には「ありがとう」と意識して言うようにした。無闇に謙遜するような言葉を使って拒絶するより、脇汗じっとりさせながらありがとうの言葉を出すのは案外しんどい。しんどいけれど心地よさは残る。

 

多分、コレで充分なんだろうな…。

 

大きくなったら何になりたいか?っていう息子の問いに、「コレ!」っていう答えはまだ無いけれど、「可愛げのある人になりたい」は、差し当たっての目標にしようと思っている。

 

ありがとう♡(にこっ)