悔しさにのたうち回る子供を見る苦しさ
下の子(5歳男)はドラッグストアに行くと、
「おもちゃ買っちゃダメぇ?キラキラキラ〜ん。」
と眼をパチパチしてお願いポーズをしてくる。
キラキラキラ〜ん…のくだりは、
クレヨンしんちゃんの真似だそうだ(本人談)。
昨日は買うを選択。
選んだのはショベルカー¥100。
帰宅後即開封。しかし…即昇天。
亀裂でも入っていたんだろうか、
あまりにもあっという間に部品が取れていた。
どう見ても自己都合ではない壊れ方に見え、
ダメ元で再度お店へ。
レシートと共に状況を説明すると、
快く交換してくれた。本当に有り難い。ありがとうお店屋さん。
同じ品物は無かったので、
別の品物を選択。
帰宅後即開封。しかし再び…即昇天。
下部についてるタイヤの軸が折れた。
チョロQみたいにバックさせて前に急発進するんだけど、
前輪がね…。
息子、落胆。号泣。のたうち回る。
「あー、もーダメだぁ。僕の人生は終わりだー!」
ゴロゴロゴロー(転げ回る)ドッタンバッタン(床を蹴る)。
地団駄踏むを転がりながら…。
約30分程経過。
どうやら続けて壊れる理不尽さに対する悔しさと、
今すぐ遊びたい気持ちを満たせない悔しさ、
再度交換しに行かなければならない面倒臭さが、
どうにもこうにも処理できないらしい。
…多分。発言を要約してみると。
¥100おもちゃで先日も似た経験をしたことが、
拍車をかけたんだろうけど。
こんな時アタシの心はザワザワしっ放しだ。
辛い苦しい、困った困った困った。
なぜならば、
5歳のran、母親のran、理想のranが入れ替わり立ち代わり登場するからね。
悔しいという感情を感じるのも、出すのも、悪いコトという認識が強い。
「悔しい=悪」の扱い。
目の前にある息子の悔しさを何とかしなければならない、
という勘違いが、
アタシの辛さを産む。
まるで自分が感じてる悔しさかのように。
悔しさは悔しさで、しっかり感じても何も起こらないはずなのに、
その感覚を感じたくないが為に、今すぐどうにかしようという気になり焦る。
そして、
「仕方ないじゃない、100円なんだから、壊れても仕方ないじゃない。」
っていう言葉を発しそうになる。
大人にしか通用しない言い訳を通そうとする訳だ。
5歳児に100円だとか、壊れ易いとか関係ない。
自動的に事態の終息をはかる行動に移ってしまう。
この能力はもの凄く長けている。
そして自分の辛さから、すぐにでも逃れようとするのだ。
実は勝手に自分で辛くしてるんだけど。
それじゃぁ、息子の悔しい気持ちは置き去りじゃないか。
こういうコトの積み重ねで、悔しいが無かったコトの扱いになっていく。
感じてはならない表してはならない感情枠に移動する。
そもそも、そういう枠要らないんだけど。
生き残っていく為に設ける枠、なんだな。
事態の終息を優先したり、悔しい感情を感じなかったコトにする理由や背景は、
もうすでに解明済み。
パンドラの箱を開けて、しっかり見てきたからね。
漫画みたいな光景なんだよ、ホントは。
カワイイんだよ、スゴく。
悔しがって泣いちゃって、どうしようもない気持ちをどうにかしたくて、
のたうち回る5歳児。
愛おしい姿だ。
だけど、
アタシには地獄絵図なんだよ。
息子がやったみたいなコトを、
アタシがやってたら…なんて思うと、
むしろ嫉妬するんだよ。
おもちゃ壊れたからって、のたうち回れていいね…。
って。
それでも、
何も言わず、手を出さず、放っておかず、なだめず、
悔しいの気持ちを飽きて発散されるまで、
ぐっと見守るコトができた昨日の自分には、
はなまるをあげたい。
2個目の新幹線が壊れてからしばらくの間、
彼から発する言葉を待つと、
「ママぁ、どこかのお店に行こうよ。」
これはどういう意味か…。
少しずつ、誘導しないように、自らの気持ちを言葉にできるように、
慎重に慎重に耳を傾け言葉を選ぶ。
どうやら、どうにもならない満足感を、
何かの形でどうにかしたい…ような感じ。
その時点で20時。
とにかく2人でドライブに。
息子のいう通りに右へ左へ目的も無く。
「少しオチツイテきたよ。」と息子。
コンビニに入ったが、やはりおもちゃに気持ちが動く。
自分のストライクに入るおもちゃはココに無い。
結局、別のドラッグストアで¥100おもちゃとお菓子を購入し帰宅。
同じ店に再度交換しに行くのは気が引けたし、
気分を変えたかったので別のお店にしてみた。
アタシは心の中で「どうかもう壊れないでくれ〜」と神頼みしていたが、
問題はなく、息子は満足していた。
一連の出来事を、5歳のアタシは経験していない。
なぜならば、「やかましい」の一言で全てを納得させてきたからだ。
たかがその程度、されどその程度。
小さな積み重なりが大きな傷に繋がるコトを、
アタシは他の誰よりも知ってる。
されてきたコトをしてしまうコトは雑作も無い。
「グダグダいつまでもうるせーんだよ。」
喉元まで出てきた言葉をグッと飲み込み黙って側に居る。
たったそれだけのコトが、
アタシには何よりも難しく、辛いことであり苦しい。
しかし、昨夜のように、
黙って見守れた安堵感は、
何にも代え難い充足感と幸福感を生む。
出来ない自分にしか意識がいかない。
それはどうしようもなく自動的に。
だからこれからは、
出来たコトやったコトにだけに目を向ける。
予想外に居心地の悪い感覚でしかないけれど、
子供にしてあげたいコトは、
自分に出来たコトだけのようだから。