宿題しなきゃいけないんじゃないの?と言わなかった結果…
<12/14(月)の出来事>
22時22分、
上の子(9歳女)、涙を流しながら宿題に取り組んでいる。
やり始めたのは21時45分頃。
漢字書き取り2ページの模様…。
「明日の朝早起きしてやったらいいんじゃない?」
とやんわり言ってみたが止めず(だいぶ頑張ったやんわりですけど…)。
私は彼女の後ろでこの文章を書いている。
彼女の側に居ようと思う。
これが彼女の求めるコトか気になるが、私はココに居る。
おそらく、今日は私の新記録だ。
21時過ぎても「宿題しなきゃいけないんじゃないの?」と言わなかったのは。
宿題に一切触れず、夕食・入浴・就寝支度を淡々と進めてみた。
18時に帰宅してから、
ゲームをし、入浴し、夕食を食べ、テレビを堪能した。
どのタイミングで宿題に入ったか定かではない。
気付けば和室に籠もっていたのだ。
娘はまだ、
ボロボロぽろぽろ涙を流し、
ノートにしみをつけながら書いている。
何を思い、何に涙を流しているのだろう…。
おそらく、何もかもわかっているんだ。
それを見るのは、正直しんどい。
その姿見るのが嫌なんだなぁ〜。
可哀想だし辛そうだし、何より自分と重ねてしまう。
まるで自分が泣きながら宿題をしているかのようになり、苦しくなる。
だからイライラしてくる、焦ってくる。
その心のザワザワを感じるのが嫌でたまらない。
「そんなに泣きながらやるなら、やめりゃぁいいじゃん!」
口から出そう…。
つい先日までは、即吐き出してた。
でも今日は出さない、押し込めて飲み込む。
せっかく自分で新記録作ったんだし、
この後どうなっていくのか見届けたい、ぜひとも。
我慢だ我慢、ココだけ我慢だ。
宿題勉強に関し今まで、
手放しで見守ってきたことがなかった。
常に何か言ってきたんだ。
宿題はやったの?
間に合わないよ。
まだやってないの?
やらないと困るんじゃないの?
早くしなさい。
いい加減にしろ。
さっさとやれよ。
などなど…。
尋問・脅し・命令・説教・非難…、
思いつく様々な言葉を駆使し、なんとかやらせようと投げつけてきた。
小学校に入学し、宿題が与えられたその瞬間から、
なんとも言えない不安と恐怖を、私は持ち続けている。
他人に何を言われようとも、
自分で気付かないと人は動かない。
わかりきってるのに、なぜ言わずにいられないのか?
それは…、
言わずにいたことがないからだ。
未だかつて、自分も親に言われずにいたことがないし、
娘にも言わずにいたことがないのだ。
勉強しろ・宿題しろと言われない言わない経験がない。
だからこそ、言われずに言わずにいた後の結果が怖い。
未経験の結果が怖い。
うなずける。
私は最近、未経験・未体験なコトがもの凄く苦手だとわかった。
30年以上、そんなコトとは露知らず。
今まで、自分は好奇心の固まりで未経験などのやったことが無いコトは大好きだ…
と思っていたんだ。
なんでも積極的にやりたい、と志願し続けてきたし。
正反対の真実。
実は、とんでもなくストレスを感じていたってコト。
最近多いんだよね…、今までの自覚と全く正反対の気持ちが発覚するっていうやつ。
繋がっちゃったわ。
そういうコトだったのね。
親に勉強しろと言われても、私は勉強してきていない。
いや、してきたけれど「言われたからやった」だけ。
それが何か自分の血や肉になったかというと、「無」だ。
むしろマイナス。
その証拠に、学ぶことに関する劣等感は大きい。
自分を支える自信の1つに、一役かってないのだ。
それじゃ、もったいなさ過ぎる。
私が、勉強が何かを知ったのは、ついこの間のこと。
自らの「知りたい」に勝る意欲は無しって、書いたばっかじゃん。
「自分は自分で頑張った」という感覚を、
勉強からも感じてもらえるような見守りを、私はしたい。
娘は、色んなコトを随分頑張っている。
「出来ない」と言って嘆いたコトも「怖い」コトも、
ちょっとの勇気と練習で反復した成果が出る経験を、
自らの力でなし得てきた。
その姿を側で見てきたし、少し手伝ってきたし、
上記のような見守りが、出来ないって訳ではないはず。
宿題勉強に対してだけ、無理です出来ませんって矛盾してるでしょうよ。
もはや、私自身の問題であることは間違いない。
宿題をしない娘の問題ではないのだ。
これも早急に頑張らねば…。
頑張れ私。
期待と要求、断捨離済みですから、
後は実際に行動を変えるのみ!
22時40分、
娘、おもむろに片付け始めた。
宿題の半分である「漢字ノート1ページだけやる」と言っていたので、
「1ページ終わったの?」と聞くと首を横に振り
「全部…」と言うので
「おぉ!頑張ったじゃん。お疲れさま」と言った。すると…、
「ふぇ〜ん(泣)…。もう何もしたくなーい!」
「そうかそうか、わかったよ」と私は言いながら、
赤ちゃんのように扱い、パジャマに着替えさせ、歯を磨いてやり、
手を繋いで布団に連れて行った(重くて抱っこで2階に連れていけなかったので)。
何も言われなくても自分で宿題が出来るコトを、娘に教わりました。
娘よありがとう、そしてすまん。
これからは、ただ待つことにする、側で。
ぶっちゃけ…「今頃気付くのかよ!散々言葉の暴力吐きまくったくせに」
っていう突っ込みを入れたくなるけれど…、それは止めておこう。
「言わない」のは、私にとって最大の大冒険。
大冒険するコトすら完全拒否だった3年半を、否定するのはやめよう。
受け入れるのに、それだけの時間が必要だったってコトだ。
言葉で人を動かせる…っていう間違った感覚は、
私自身が体感してきたコトであり、私を作ってきたコトである。
40数年で積み上げてしまった思想と感覚を、いきなり変えるコトは不可能だが、
数年かければ変化が可能である証しになり、自信に繋がりそうだ。
今日出来ても明日出来るとは限らないが、その都度振り返り反省し、
修正をしながら歪んだ何かが変わっていく…と思いたい。
無論、そんな私の人生に付合わせて申し訳ない…という思いは強い。
けれど、それを嘆き続け自分を責め続けたところで、
時間は止まらないし子供は成長してしまう。
ならば今出来る精一杯をやろうじゃないか。